Dior(ディオール)とは/ブランドの歴史・特徴

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Dior(ディオール)の経歴・歴史

Dior
(BERMO FASHIONより引用)

クリスチャン・ディオールは、1905年フランスのノルマンデで裕福な実業家の家に生まれます。両親の希望で、外交官を目指しパリ政治学院に進学しましたが、勉強より芸術活動に勤しむようになりギャラリーをオープンします。

しかし、30年代の恐慌に見舞われ失職してしまいました。このとき、友人からデッサンを習い、帽子のデザインのスケッチが好評を博し、服飾デザイナーを志望するようになりました。

1946年、リュシアン・ルロンのメゾンで働く彼の才能に目を止めたマルセル・ブサックの援助で独立し、「クリスチャン ディオール オートクチュール メゾン」がスタートしました。この時すでに41歳でこのブサックの投資はとても異例なことです。

1947年春夏コレクションでパリコレクションにデビューしました。丸みをもったなだらかな肩に、コルセットで細く絞ったウェスト、ヒップにはパッド、大きく丸くはりだした胸元のライン、ロングスカートのシルエットで曲線を強調したコロールラインを発表しました。

Dior
(出典:https://www.harpersbazaar.com/fashion/designers/g5139/christian-dior-1940s-photos/)

ココ・シャネルの打ち出したスタイルを否定するような、女性らしいスタイルが復活させました。ニュー・ルックと呼ばれ、大きな流行となりました。

1948年からジグザグラインパーティカルラインAラインYラインなど歴史に残るような様々なシルエットを発表しました。

1957年、クリスチャン・ディオールは心臓発作により急逝し、後任として弱冠21歳のYves Saint Laurent(イヴ・サンローラン)が主任デザイナーに抜擢されました。

1960年、イヴがアルジェリア戦争で徴兵され、当時34歳のマルク・ボアンがデザイナーに起用されました。スリムルック、サファリルック、マキシルックで、デ・ドール賞も2回受賞。

1968年、革新性にかけたデザインは徐々に衰退し、モエ・ヘネシー社に買収されます。

1989年、GIANFRANCO(ジャンフランコ・フェレ)がデザイナーに就任。秋冬コレクションでデ・ドール賞受賞。1996年、ジョン・ガリアーノがデザイナーに就任。2001年、「ディオールオム」の主任デザイナーにエディ・スリマンが就任。

2007年、 エディ・スリマンが辞任。後任に、クリス・ヴァン・アッシュが就任。2011年、ラフ・シモンズが引き継ぎます。2015年、3年半務めクリエイティブ・ディレクターを辞退しました。

2016年、マリア・グラツィア・キウリがクリエイティブ・ディレクターに就任。

2019年春夏からキム・ジョーンズがディレクターに就任し、「ディオール オム」もウィメンズラインとともに「ディオール」となりました。

Dior(ディオール)のデザイナー

レディースライン

John Galliano(ジョン・ガリアーノ)

ジョン・ガリアーノは、1960年イギリスの植民地であったジブラルタル出身。6歳の時に父親の働いていたロンドンに移住しました。ウィルソングラマースクール卒業後、セントマーチンズのテキスタイル科に入学し、1984年に首席で卒業しました。

1985年に自身の名前を冠したブランド「John Galliano(ジョン・ガリアーノ)」を設立しました。1995年に「Givenchy(ジバンシィ)」にジバンシィ本人の後任としてデザイナーに抜擢されました。

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(https://wwd.com/fashion-news/fashion-features/christian-dior-haute-couture-retrospective-john-galliano-raf-simons-10328785/)

1996年にジャンフランコ・フェレの後任として、ディオールのデザイナーに就任しました。ガリアーノは伝統的なシルエットをモダンに再解釈し、ディオールを再生させました。

現在は「Maison Margiela(メゾンマルジェラ)」のディレクターとして活動しています。

Raf Simons(ラフシモンズ)

Dior
(出典:https://www.fashion-press.net/collections/gallery/14240/246463)

2012年からガリアーノの後任としてディレクターに就任しました。ラフシモンズについては、「RAF SIMONS(ラフシモンズ)」の記事からご覧ください。

Maria Grazia Chiuri(マリア・グラツィア・キウリ)

マリア・グラツィア・キウリは1964年のローマ出身。ローマのIEDを卒業後、「Fendi(フェンディ)」に入社。1989年からピエールパオロ・ピッチョーリとともにフェンディのアクセサリー部門を牽引。

1999年からは、ピッチョーリとともに「VALENTINO(ヴァレンティノ)」のアクセサリー部門のデザイナーに就任しました。

2008年からヴァレンティノのレディースライン、メンズラインを担当するようになりました。

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(出典:https://www.fashion-press.net/news/37765)

ピッチョーリと離れ、2016年にディオールのクリエイティブディレクターに就任しました。

メンズライン

Hedi Slimane(エディ・スリマン)


(出典:https://www.pinterest.es/pin/74309462581453984/)

2001年、「ディオールオム」の主任デザイナーに就任しました。

エディ・スリマンの説明については「SAINT LAURENT(サンローラン)」の記事に乗っているのでよろしければご覧ください。

KRIS VAN ASSCHE(クリス・ヴァン・アッシュ)

クリス・ヴァン・アッシュは、1976年ベルギー出身。1998年にアントワープ王立美術アカデミーを卒業し、エディ・スリマンのアシスタントとして「イヴサンローラン」のメンズラインで経験を積みました。

その後、エディがディオールオム立ち上げのためにクリスチャンディオールに移籍すると、ともに移籍しました。

2005年に自身のブランド「KRISVANASSCHE(クリスヴァンアッシュ)」を立ちあげました。

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(出典:https://www.fashion-press.net/news/31683)

2008年春夏からディオールオムのデザイナーとなりました。エディとは異なるモードでエレガントなスタイルを提案しました。2018年秋冬を最後にディオールを去りました。

Kim Jones(キム・ジョーンズ)

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(出典:https://www.fashion-press.net/news/45178)

2019年春夏コレクションからアーティスティックディレクターに就任し、メンズ、ウィメンズを一括して「DIOR」としました。キム・ジョーンズについては「LOUIS VITTON(ルイヴィトン)」の生地で確認ください。

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